
精神的な健康には余白のある環境づくりが有効? ~ベネッセ シニア・介護研究所の調査を受けて
ベネッセ シニア・介護研究所(以下 「研究所」 )は、「年をとればとるほど幸せになる社会」 の実現に向けて高齢者・介護に関する課題の調査・研究を行う、株式会社ベネッセスタイルケアの社内シンクタンクです。ベネッセ ウェルビーイングLab(以下 「ラボ」 )は多様な人のウェルビーイングの支援に向けて活動をする中で、シニア世代のウェルビーイングも大切なテーマの一つと考え、研究所とは定期的に情報交換をしています。
研究所は、ご自宅に在住の方を対象に実施した2023年の調査に続き、2024年にもご高齢者のQOL(生活の質)に関する調査を行いました。今回の調査で見えてきたことや研究所が描く今後について、調査を主導した岡部祥太に聞いてみました。
(2023年の調査に関する記事はこちら)
- INDEX
老人ホームのご入居者への調査から見えてきたこと
2024年の調査は、ベネッセスタイルケアが運営する有料老人ホームのご入居者を対象に行われました。精神的健康に対する主観的評価などQOL(生活の質)に関連する項目を主な調査項目としたところ、90代の方のスコアが70~80代の方よりも高く、「年代が上がるほどQOL(生活の質)が高い」 ことを示唆する結果となりました。
(詳しい調査結果はこちら)

今回の調査と同様に、身体が不自由になり生活機能が低下する高齢期でもQOLに関連するスコアが低下せず、逆に上昇することが報告されているとのこと。岡部によると、「年代が上がるほどQOL(生活の質)が高い」 ことには、「老年的超越」 が関係しているのではないか、と考えているそうです。
QOL(生活の質)に関与する 「老年的超越」 って?
「老年的超越」 とは、聞きなれない言葉ですが、どういったものなのでしょう。
「日本老年医学会雑誌」 に掲載されている増井幸恵氏の論文には、「老年的超越とは,高齢期に高まるとされる,『物質主義的で合理的な世界観から,宇宙的,超越的,非合理的な世界観への変化』を指す」 とあります(注釈1)。
具体的には、例えば、自分中心の価値観から他者を大切にするようになったり、無理せずあるがままの状態を受け入れるようになったりすることが挙げられるそうです。
岡部はこう語ります
「老年的超越がQOLの維持に関与することを示す研究もあります。今回の調査で明らかになったご入居者のQOLにも老年的超越が関与しているのかもしれません。」
QOLを高めるには、「余白」 のある環境づくりも重要?
岡部はさらに続けます
「『老年的超越』は善悪などの『二元論からの脱却』や他者を大切にする『利他性』など、いくつかの要素で構成されています。その中でも興味深いと思うのが『内向性』です。これは一人でいることのよさに気づいたり、孤独感を感じにくくなったりすることを指します。一般的には他者との交流やつながりがQOLの維持に重要とされていますが、高齢になり内向性が高まると、他者との関係が希薄になってもQOLを高く保てるのかもしれません。
一方で、今回の調査でQOLが相対的に低かった70代や80代の方は老年的超越が十分に高くなかったのかもしれません。そうした方々にはやはり他者とのコミュニケーションが大切です。そういった意味でも、だれかと気軽に雑談できるような環境づくりが進むといいなと思います。老人ホームで働くスタッフは、日々より良いケアの実践を目指していますが、仕事の負荷が重くなり、ご入居者と気軽に雑談する時間を十分に取れないこともあります。スタッフがご入居者との雑談を楽しめるような時間と心の『余白』をホームの中に生み出すことが重要です。充実したケアを保ちながらどうすれば余白を作ることができるのか、その要因を明らかにできれば、老年的超越の度合いに関わらず、ご入居者が快適に過ごせる環境をつくれるのではないかと考えています。」
「余白」 を生み出す、何気ないコミュニケーションとは
岡部が、面白い話を教えてくれました。
「かつて九州の炭鉱に、『スカブラ』と呼ばれる人たちがいました。炭鉱なので、皆は石炭を掘っているのですが、スカブラは石炭を掘らず、みんなに笑い話をしたりしていたそうです。石炭を掘るという本来の仕事をせず、ぶらぶらしては職場に笑いを提供する、そんなスカブラの存在を周りの炭鉱労働者も受け入れていたようで、おもしろいことに、スカブラがいる日は仕事がはかどり、スカブラが休みの日にはさっぱり効率が上がらない、そんなこともあったようです(注釈2)。どこまで本当の話なのか、真相は分からないところもありますが(注釈3)、雑談や笑い話で皆を楽しませ、人間関係を円滑にする“潤滑油”としてスカブラが活躍していたことが伺い知れます。」
「この『スカブラ』のような人、ただみんなと話したり笑わせたりすることを楽しむ人がホームにいるとそれが余白となり、ご入居者だけでなくスタッフのQOLの向上をもたらすのではないか。そんな考えも仮説の1つとして持っています。」

何気ないコミュニケーションを行うことで、ご入居者の気分や状態が上向き、結果、スタッフの余裕をも生み出し、良い循環が生まれるのではないかと考えているとのこと。今後、検証を行うなどして深めていくそうです。
岡部の話を聞きながら、「スカブラ」 との会話のような、はっきりとした目的のない、日常における何気ない会話やコミュニケーションが実は大切ということは、デスクワーク中心の職場でも思い当たるふしがあると感じました。ご高齢者や介護におけるQOL向上にはもちろん、それ以外の人や場でのウェルビーイング向上にもつながるヒントを得られそうなこの研究に、Labとして今後も注目していきたいと思います。
- 注釈1
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- 増井幸恵: 「老年的超越」 . 日本老年医学会雑誌. 2016; 53 (3): 210―214.
- Tornstam L: Gero-transcendence; A meta-theoretical reformulation of the disengagement theory. Aging: Clinical and Experimental Research 1989; 1 (1): 55―63.
- Tornstam L: Gerotranscendence: A Developmental Theory of Positive Aging. Springer Publishing, New York, 2005
- 注釈2
- 上野英信: 「地の底の笑い話」 . 1967. 岩波書店.
- 注釈3
- 宮地英敏、西尾典子: 「スカブラ考」 . エネルギー史研究:石炭を中心として. 2022; 37: 53―77.